以外に知らない日本でのディスコの歴史を調べてみました。
1960年代-1970年代
日本では1960年代にオープンした渋谷の「クレイジースポット」や新宿の「ジ・アザー」が最初とする説がある。しかし一般的には1968年に赤坂に出来た「ムゲン」「ビブロス」がディスコの走りといわれている。当時、生バンド演奏にあわせてダンスを踊るゴーゴー喫茶が流行しており、ゴーゴーガール目当てに通う者もいたが、それらの店とは一線を画して主に芸能人やモデル、富裕層や外国人客を主な客層としたことで、一気に時代を先んじた存在に上りつめた。当時の「ムゲン」は、川端康成や三島由紀夫、三宅一生などの時代の先端を行くそうそうたるメンバーで賑わっていたという。この頃は生バンドとレコードの両立だったのが、1971年六本木にオープンした「メビウス」が日本で最初にレコードのみで営業した。これは生バンドの人件費を抑える為におこなった行為だったが、結果としては現在のディスコやクラヴと同じくレコードのみのスタイルとなっている。
その後、ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)が大ヒットし、新宿、渋谷、上野、池袋などの繁華街に多数のディスコが開業し、夜遊びの趨勢は完全にディスコに移った。大勢の「ディスコでフィバる」(熱狂すること。現在では死語)若者を生んだ。
1970年代-1980年代
1970年代後半から1980年代前半にかけては、ディスコの定番音楽となる名曲が数多く生まれた時代でもある。ABBAやBee Gees、Chic、Boys Town Gangなどが歌うこれらの曲は、後にはディスコクラシックと分類され、根強いファンを持つようになった。(西城秀樹が青春歌謡ポップス曲「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」としてカバーしたヴィレッジ・ピープルのヒット曲「Y.M.C.A.」などは、球場等で流れ、応援ソングになっている。2006年現在)
また、この時期には、YMOのもたらしたテクノブームが新宿のディスコにも多大な影響を与え、一時期はテクノカットと呼ばれる、YMO風にもみ上げを水平にカットした散切り頭に、JUNやROPEのモノトーンスーツがフロアのダンサーの大半を占める潮流もあった。また後には、マッドネス、スペシャルズなどのツートンスカが流行し、新宿ではツートーンチェックも流行の中心となった。
この頃の日本では、新宿の「ツバキハウス」、「ワンプラスワン」、上野の「ブラックシープ」、浅草の「シャトー」などが有名であったが、1982年、中学3年生の少女がディスコの帰りに殺害される「新宿ディスコ殺人事件(未解決。97年時効成立)」が起こったことから、深夜営業の禁止・未成年者の入店規制など取締りが強化され、新宿のディスコは衰退した。
原宿の歩行者天国(ホコ天)でラジカセを囲み奇抜な衣装で踊る竹の子族が流行ったのもこの頃である。
引用:『ウィキペディア(Wikipedia)』
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